息長
継体帝と深い関係を持つとされる近江国坂田郡を拠点とする氏族。
但し、越前地方にも何らかの関係を持つものと考えられている。『新撰姓氏録』によると、息長真人は山道(やまぢ)真人と同祖とされている。息長氏は、『古事記』によれば、応神帝の皇子である若野毛二俣王を祖とする。また、同じく『古事記』には意富富杼王を以って三国君、山道君の祖としている。山道氏は越前国足羽郡に本拠を置く氏族である。
大王家とは深い関係を保ち、大王家と一体化した一族とも言える。
未だ伝説の域を出ないとしても、大和の混乱を収拾して大伴氏、物部氏などの後押しによって大王位に付いた継体帝の出自を息長氏に求めることも的外れとは言い難いだろう。
朝廷と関係したことで、宗家は本拠地を中央に移したとされているが、それでも父祖伝来の地に残る一族も多く、天平19(747)年の『正倉院文書』「近江国坂田郡司解婢売買券」に坂田郡上丹生郷の息長真人真野売、同刀禰麻呂、同忍麻呂の名があることで知ることが出来る。
なお、息長氏が中央に進出する以前の動向は不明であるが、坂田郡の息長横河(天野川)流域には山津照神社古墳、越古墳、後別当古墳など5世紀末から6世紀後半にかけて造営された首長級の墳墓がある。