松平(能見) 杵築藩主家

中津市/中津城/10万石/人口:9万8,500人/家臣団:7,130人

信濃の小笠原秀政の四男の重直が徳川秀忠の命によって能見松平重忠の娘婿となり能見松平家を承継。能見松平家は三河松平第3代当主で室町幕府の政所執事伊勢貞親に仕えた松平信光の八男・光親を祖とする松平家の庶流。

第3代重吉の頃に徳川家康に仕え、家康の六男である松平忠輝の附家老を務めた関係で大名となるのは他の松平家の後塵を拝することとなった。

重直は養父の重忠が亡くなると1万石を減じられ摂津三田藩3万石に封じられる。その後、豊前竜王藩に封じられ竜王城跡(宇佐市安心院町)に陣屋を構えた。1639(寛永16)年に高田城(建久7年高田重定築城)に居城を移した。更に、杵築に移封された。

第4代松平(能見)親純は杵築藩第2代藩主松平重栄の長女を母とする。


参考:十八松平