武蔵七党
 京都から遠く離れた武蔵国において平安時代後期から活躍し、坂東平氏諸氏とともに鎌倉幕府樹立の背景となった同族的武士団。その出自は様々であるも、南北朝時代には各地に転戦し日本全国の武士団の源流となっていった。
 七党と称され、横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党を以って七党とするが、範疇は一様ではなく私市党を加えるもの、西野党を加えるものもある。いづれも、横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党と繋がりがあるものと言える。
 もとより在郷武士団であり、自らの名字の地に生活し生活の為に武装した集団であり、党ということからも分かるように必ずしも血縁集団を意味するものではない。こうした京都を中心とした畿内から遠く離れた地の、しかも中央政権に力を持たない在郷武士団が一躍名を馳せたのは鎌倉幕府を打ち立てたことによる。
 これを契機として、武蔵七党は相模国、下総国、上総国、上野国と関東の各地に勢力を拡大させた。さらには南北朝時代に各軍に参加し全国を転戦したことで全国へと広がって行く。
 こうした広がりと歩調を合わせるように、もともと在郷武士団であった七党各党の党としての意味合いも薄れ、歴史の表舞台から姿を消した。
 しかし、坂東平氏とともに武蔵七党は日本の武家の源流として永くその名と血脈を現代にまで伝えている。