南淵
継体帝に連なる一族。本姓は息長真人あるいは坂田酒人真人であったが、弘仁14(823)年に坂田朝臣弘貞、永河が本拠地の大和国高市郡南淵に因んで南淵朝臣を賜姓されたことに始まる。永河の子年名は大納言にまで上り、『貞観式』『左右検非違使式』などの法令集の編纂に関与した。
この年名の兄弟あるいは近親(従兄弟?)とされる秋郷は上野国に下向し、子孫は坂東の地に土着した。