阿部氏_備後国福山藩主家_伯爵家
 福島正則が元和5(1619)年に改易された後、水野家が5代にわたって統治した福山。その福山は水野勝峯が夭折したことで奥平家の統治するところとなる。そして、宝永7(1710)年に奥平家が伊勢国桑名へ移って下野国宇都宮から阿部家が入封。
 特に第7代当主の正弘は幕末のペリー来航時に老中首座の任を負う。また、水戸侯斉昭、越前侯慶永、島津侯斉彬と交流を深め幕末の舵取りを行った。