服部城

甲賀市甲南町に鎮座する新宮神社の奥にあるのが甲賀郡中惣を組織した甲賀五十三家の一つ服部家の居城.ここは甲賀服部氏の発祥の地でもあり,伊賀服部氏の発祥の地でもある.

附:新宮神社

服部城に隣接して鎮座する新宮神社は紀伊熊野大社,常陸鹿島大社,勝手大明神を祀る.

この辺りは杣庄と呼ばれる一つの荘園であったが,新宮・矢川・三大寺という3つの荘園に分割.それに伴い,三大寺社[日吉神社]・矢川神社・新宮神社は杣三社大明神と呼ばれ崇敬を集めた.

茅葺の表門は国指定重要文化財.

附:矢川神社

矢川神社は『延喜式神名帳』に甲賀郡八座の一つとして掲げられている式内社.大己貴命[Ohnamuchi]と矢川枝姫命を祀っている.

杣一之宮矢川大明神として杣庄内22ケ村の総社の地位にあった.

矢川神社境内は甲賀5城[寺前城跡/村雨城/新宮城/新宮支城/竹中城]とともに,甲賀郡中惣遺跡群として国指定史跡となっている.また,社殿は宝暦5[1755]年に近江八幡の大工・高木但馬による造営.茅葺の楼門は文明14[1482]年の造営.

甲賀郡一帯において,土豪・地侍によって案件を合議で決定する郡中惣が形成されたのは織田信長の近江侵攻[1558-70]という軍事的緊張が背景にあったと考えられる.

甲賀の武士団は近江守護六角氏とともに善戦するも,元亀元[1570]年に野洲川の戦いで敗れると織田信長の配下に組み込まれた.

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