朽木館

滋賀県高島市にある朽木家の館.

安曇川と北川が合流する野尻に立地している.朽木館は若狭国・越前国と京都を結ぶ朽木街道に面する重要な戦略的場所にある.

朽木氏の祖である佐々木信綱が秀隣寺を開基.佐々木信綱の子高島高信の次男頼綱が朽木を領して朽木を称したことが朽木家の始まり.

朽木元綱[1549-1632]は元亀元[1570]年に,越前朝倉攻めに出兵した織田信長が浅井家の裏切りにあって退路を断たれた時,松永秀久の説得に応じて織田信長の京都への退路を確保したことで知られる[朽木越え].

織田信長,豊臣秀吉に仕え,豊臣秀吉の下で朽木谷2万石の大名となった.

なお,朽木元綱の死後に遺領は子の宣綱に6300余石,友綱に2015余石,稙綱に1100余石に分け与えられた.宣綱の家は交代年寄として明治維新まで朽木を治めた.一方,宣綱の次男の高通の母マグダレナは京極高吉[1504-1581]の娘であったことから,京極高吉の子・京極高知[1572-1622]の娘婿となり,1万石を分与され,旧領と併せて峰山1万3000石の大名となった.

朽木稙綱の子孫は丹波福知山藩主となって存続した.

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