朽木岩神館

朽木氏の祖である佐々木信綱が秀隣寺を開基.佐々木信綱の子高島高信の次男頼綱が朽木を領して朽木を称したことが朽木家の始まり.

野州家の細川政春の子の室町幕府管領・細川高国に擁立された室町幕府将軍・足利義晴は,細川家内部で内紛が起こり,阿波守護家の細川澄元の子・細川晴元が三好元長の支援の下,足利義晴の弟・足利義維を擁立[堺公方・平島公方].大永7[1527]年の桂川原の戦いで細川高国が敗戦,細川晴元・三好元長が京都に入る.これによって,足利義晴は細川高国,若狭国守護・武田元光とともに近江国に逃れた.一旦は,和睦が成り,足利義晴は京都に戻る.しかし,享禄元[1528]年に両者の関係は再び悪化.

足利義晴は室町幕府内談衆の朽木稙綱を頼って朽木に落ち延びた.この時,朽木稙綱が足利義晴のために用意したのが岩神館.浅井亮政,朝倉孝景の援助によって,管領・細川高国が庭園を作庭したことで知られる.

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.