物集女城

物集女城は京都府向日市にある物集女氏の居城.

写真のような水堀が主郭の東側に残っている.

物集女氏は秦氏の一族.天竜寺領物集女荘の代官を代々勤め,国人化したと考えられる.

葛野郡の桂・川島付近をあわせた一帯は西岡と呼ばれ,室町将軍家の家臣団が西岡被官衆として居を構えていた.『雍州府志』には,「西郊三十六人衆は,公方譜代の士なり」とある.物集女氏もその一員だったと考えられる.物集女氏の他には,神足氏,中小路氏,革嶋氏,小野氏,竹田氏,野田氏などが知られており,室町幕府の軍事を担った.

戦国時代には物集女忠重が城主だった.織田信長は細川藤孝を勝龍寺城主として物集女地区周辺も統治させた.細川藤孝は自らも室町幕府13代将軍・足利義輝に仕えていた経緯もあって,西岡被官衆ら国人の領土を安堵.これに対して,西岡被官衆は細川藤孝に対して御礼参上.

しかし,物集女忠重は,細川藤孝に御礼参上する必要はないと主張.天正3[1575]年に勝龍寺城で謀殺されるに至る.これによって,物集女城は廃城となった.

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