葛西館

葛飾は京成四ツ木駅の近くにあるお館です.

豊島清光[清元]の三男で源頼朝の信頼が厚かった葛西清重[1161-1238]が館を構えた場所になります.

豊島清光[清元]は前九年の役,後三年の役で源義家[1039-1106]に仕え,朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれて戦った保元の乱[1156]では源義朝[1123-1160]に与した人物.平治の乱では源氏に付いたのか平家に付いたのか諸説あります.子である清重は葛西御厨を相続し葛西三郎と名乗りました.

源頼朝は1180[治承4]年8月に石橋山の戦いで大庭景親[-1180]率いる平家方に敗れて安房に逃れた際に,藤原秀郷の子孫の下野小山氏一門である小山朝政[1158-1238],下河辺行平と豊島清元・清重父子に参陣を求める書状を送っています.そして,10月3日に源頼朝軍が千葉氏・上総氏の軍勢を従えて隅田川まで進軍すると豊島清元・清重父子も陣営に加わります.この時,豊島氏・葛西氏と同じ秩父氏一族である江戸重長は応じなかったのを説得したのが豊島父子だと伝わります.

葛西清重は1189[文治5]年の奥州藤原氏討伐における戦功により,源頼朝から胆沢郡,磐井郡,牡鹿郡などの所領を賜った他,奥州総奉行に任じられます.

葛西氏は東西葛西領を所領としていましたが,鎌倉幕府執権の北条家が勢力を伸ばす中で,東北に活路を求めて集団移住し戦国大名化しました.

ちなみに,鎌倉に葛西ヶ谷という地がありますが,そこは葛西氏の鎌倉における屋敷があった場所になります.

清重塚

葛飾は四ツ木にある葛西清重[1162-1238]の墓.

葛西氏の系譜

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.