撫養城

「むや」と読みます.岡崎城とも林崎城とも呼ばれます.

徳島県は鳴門市の旧吉野川の支流・撫養川河口右岸[南岸]の妙見山[古城山]と言われる丘陵状にある城.妙見山の麓に拡がるのが岡崎の町並みで,岡崎は撫養街道の起点であり淡路街道の終点という地に当たります.その反対側にある町が林崎.撫養城が岡崎城とも林崎城とも呼ばれるのは,この立地のため.

1585年に蜂須賀家政が阿波に入った際に守りとして築いた九城の一つです.このフレーズ,なんだか,黒田長政が福岡城の守りのために六端城を築いたというのと重なります.

黒田長政の奥さんは蜂須賀家政の妹の糸なので,そう感じるのかもしれません.

但し,蜂須賀家政が阿波に入封の後,益田内膳丞正忠を城主に据え築城する以前にも城は存在しています.

1523[大永3]年には第10代将軍足利義稙が撫養で没し,三好氏に擁立された第14代将軍足利義栄も撫養で没したと伝わることから,古くから城館があったものと思われます.

ちなみに,1577[天正5]年3月に三好長治が長宗我部元親の支援を受けた細川真之との戦いに敗れ自害した翌年,阿波三好家中から実弟の十河存保が擁立され1月3日に撫養に上陸し勝瑞城に入っています.


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城主

  1. 小笠原氏
  2. 四宮氏[三好氏家臣]
  3. 真下氏[長曽我部氏家臣]
  4. 益田氏[蜂須賀氏家臣]

2013_04_27_徳島

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.