矢取地蔵


<2005/12/10>

京都は南区唐橋羅城門町にある矢取地蔵は平安京の歴史と同じほどの古い由緒のあるお地蔵さんです.嵯峨天皇の命によって,東寺を任されていた空海と,西寺を任されていた守敏[Shubin]はライバルとして競い合っていたといいます.

824[弘仁15/天長元]年,京都は旱魃に襲われます.嵯峨天皇から譲位された淳和天皇は空海と守敏に神泉苑での雨乞いを命じます.先に祈った守敏の法力は天に通じず雨は降りません.次に,空海が祈ると三日三晩にわたって雨が降り続いて,人々の渇きを癒し,大地を潤したと伝わります.

面目を失った守敏は復讐心に燃えて,空海を羅城門で待ち伏せして矢を射って殺そうとします.ところが,どこからともなく現れた黒衣の僧が矢を身に受けて空海を救ったそうです.

この黒衣の僧が矢取地蔵だったのだと伝わります.そして,この事件のために守敏は地位を失い,守敏の西寺も衰退を余儀なくされました.空海の東寺は現在に至るまで残っていますが,守敏の西寺は跡形もなく無くなってしまいました.

羅城門
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西寺