豊潤稲荷と神田青果市場

神田須田町に鎮座する豊潤稲荷は関東大震災後に神田市場の関係者が商売繁盛のために勧請したものといいます.

しかし,社殿から見つかった古文書によると,1917[大正6]年に日蓮宗の僧侶が旧神田市場内のどこかにお稲荷さんを勧請したのが,そもそもの始まりとされます.それを,市場関係者がそれぞれの場所で祀っていた稲荷とともに合祀して豊潤稲荷としたのが1930[昭和5]年ということのようです.

神田の青果市場は江戸時代の明暦の大火[1657]以降に,江戸八辻ヶ原と呼ばれた神田多町・神田須田町の地に,商人たちが集まって形成された市場.徳川幕府の御用市場となり,駒込・千住の市場と並んで江戸三大市場と称されるに至ります.約1万5千坪[約5万9500u]もの広大な市場は平川[日本橋川]左岸の神田橋門外の鎌倉河岸からの荷揚げで大いに賑わったそうです.青果市場を意味する「やっちゃ場」という言葉の発祥の地も神田の青果市場だとされます.

1923[大正12]年の関東大震災後に復興した神田市場でしたが,その後、 1928[昭和3]年には秋葉原西北に移転.さらに,1990[平成2]年には大田区へと移転しています.