『酒井忠次』
 「酒井忠次っていうと家康の父親の広忠以来の家臣だね」
 「松平広忠の妹の碓井姫と結婚しているから親戚でもあるわ。ちなみに、酒井氏は左衛門尉系と雅楽頭系に分かれているのね、忠次は左衛門尉系の系統ね」
 「だから今川義元の人質だった竹千代(家康)に駿府で仕えたんだね」
 「その後、永禄3(1560)年には家老に就任しているわ」
 「元信、後の家康が晴れて岡崎城に帰ったときだ」
 「永禄7年に元信が三河国統一を果たすと吉田城主になる」
 「その酒井忠次は四天王の第一と言われる」
 「年長だったってこともあるけど。家康より14歳年長なのね。でも、それだけではないわね、『名将言行録 巻之四十九』にはこういう逸話が伝わっているわ。
『此役(長篠)終て後、信長、忠次が功を賞して、汝は前に眼あるのみにあらず、後にも眼ありと言はれしかば、忠次忝き由申て、偖終に後を見たることは之なく候と申す。信長笑て、前後の謀違はざることを賞せんとて言過ぎたりと言はれければ、忠次其時仰の旨面目あり、とて退出したりけり。』」
参考:長篠の戦い、京桜井、京知恩院