[法人の人権]
■法人の人権
  @法人の人権享有主体性・根拠
  A保障の及ぶ人権の範囲
  B保障の程度
   @一般国民との関係(八幡製鉄事件)
   A法人内部の構成員との関係(南九州税理士会政治献金事件)


 「人権というのは自然人に認められたものでしょ。そうすると、法人にも人権が認められるのかっていうこと、つまり法人の人権享有主体性ということを考えなくてはいけないわね」
 「かつては、そもそも法人の活動というのは自然人を通じて行われるし、効果という点についても究極的には自然人に帰属するからという理由で法人にも人権が認められると考える考え方が一般的だったね」
 「でも、その考え方というのは、資本主義が高度化して巨大な社会的権力が出現しているということや社会の組織化が進展して効果が必ずしも人的基礎に結びつけることが困難になってきているということを考えると現代社会では適切な考え方とはいえないわ」
 「少なくとも、現代社会においては、法人というものは、社会における重要な構成要素として社会的実体を持っているということが法人に人権を認める根拠となるだろうね」
 「法人に人権が認められるということは問題ないわけだけど、そうは言っても当然に自然人と同じように人権が認められるというわけではないわよ」
 「そりゃそうだ。
 例えば、生存権(25条)なんかは性質上自然人とだけ結びつけて考えられる権利だから法人には及ばないと考えられるね。
 そういうことでいうと、選挙権(15条)もそうだね。自然人とだけ結び付けて考えられる権利だよ」
 「内心の自由とか表現の自由などの精神的自由権に関しては法人の持っている固有の性格と矛盾しない範囲内で法人にも人権が保障されると考えられるわね」
 「例えば、宗教法人における信教の自由(20条)、報道機関における報道の自由(21条)、それに学問の自由(23条)が大学などの学校法人に認められるね」
 「それから、法人の性格うんぬんの以前に認められるものとしては、財産権(29条)や営業の自由(22条)などの経済的自由権があるわ」
 「ここで、注意が必要だね。
 今、挙げてきたように、法人にも人権は保障されるわけなんだけど、法人に自然人と同じように人権を認めてしまっては、法人が巨大な社会的権力を持っている現状では却って自然人の人権を圧迫するという危険性が高いと言える。
 そこで、法人には人権の実質的公平を確保しようという社会国家的理念に基づいて自然人よりも広汎な積極的規制を加えることが許されると考えるべきだってことになる」
 「具体的にいうと、法人についての政治活動の自由(21条)などで問題になるわね。
 有名な判例でいうと、『八幡製鐵政治献金事件最高裁判決』。
 この判決では、最高裁は社会邸実体である法人には、議会制民主主義を支えるうえで不可欠な政党の健全な発展に協力することは当然に期待されているとして、法人の政治活動の自由(21条)を認めたのよね」
 「国民が政治活動を行うのと違う取扱をおこなうべき憲法うえの要請はないと判示したね」
 「でも、法人が巨大な社会的権力を持っているんだという現実の状態を考慮に入れると、法人の政治活動の自由を自然人と同じように認めてしまうと、一般の国民の政治活動の自由を不当に制限してしまうという結果になりかねない」
 「加えて、法人内部における構成員の持っている一般国民としての政治活動の自由と矛盾したり、衝突したりする場合が十分に考えられるわけだよね(『南九州税理士会政治献金事件』)。
 そうすると、法人に自然人と全く同じ程度の政治活動の自由というものを認めるとするのは疑問としなかればいけないような気がするね」